褒められたことがない。

私は子ども時代に、褒められたことがない。


唯一、小学1年生の時に、


子ども一人一人に渡す表彰状があって、


頑張り屋さんで賞をもらった時。


なぜか、母は、ことさら喜んで、


あんたは、頑張り屋さんだから!


あんたは、頑張り屋さんだから!


とずーっと言い続けた。


私は決して目立つ子どもじゃなかったけど、


機能不全の家族にいて、


3歳から針を持って人形の服を縫い、


3歳から包丁を持ってリンゴを剥いていたり


3歳から玄関掃除をやる子どもだった。


やる気ばかりで、下手だった。


母は、そうしたら、声をかけてくれたから。


掃除をしたことに、ありがとうと。


家事を手伝うと、ありがとう。


しかし、私の個人的な部分で褒められた


ことはなかった。


不思議なほどに、私の実家家族は、


誰も褒めない。笑


お互いを褒めるなんて、ありえない。


けなし合う、貶める。


または、マシだよねーっと言うぐらい。


19歳の頃に、母は、私が優しいピンクの


シャツを着ていたら、


「若いと何でも着れて似合うからいいわね」


と言った。


私も実家に慣れすぎていたので、


「若いと服が似合いやすいよね」


と返事をした。


今なら、こんな会話はしないけれど。笑


子どもが選んで着た服が似合っていたら、


ただ、似合ってるね!って言えばいい。


似合ってるんだからね。


母は、私がうまくいっていると、嫉妬したり


する。


母は、ひとりっ子で、子どもを3人産んだ。


その理由がものすごくヘンだ。


ひとりっ子でずっと兄妹が欲しかった。


だから、兄妹を産んだのよ。


今考えても、すごくヘン。


母は、79歳になるけど、当時は40歳ぐらい。


自分の言葉がおかしいって、何故


気づかないんだろう。


それは、母もACだから?


父もACだから、本気でお似合いな夫婦


なんだろうな。


ACとは、アルコール依存性の親を持って


育った子どもの略が語源です。


私の父、母は、その通りの環境でした。


そして、それを克服することもなく、


自分たちで家族を作ってしまったのです。


ACは、アダルトチルドレン


代々受け継がれていくのがパターンです。


人を信頼できず、何かに依存性を持ったり


家族には本当の話はできない。


家族なのに、八つ当たりの対象にし、


弱い存在を差別し、虐げる。


虐待は、連鎖するのは、ここも原因に


なっている。


満たされないまま、大人になって、

 

不具合を克服することなく、垂れ流す。


父は81歳。母は、79歳。


共依存の関係が今日も続いています。


ひたすら、父が正しく、母は機嫌を損ね


たくなくて、子どもの意思や正しさは、


無視した。


子どもが理不尽な扱いを受けても、


捨てておく。


フォローもしないし、頑張ってる自分が


かわいそうな人。


今日もそのスタンスで生きている。


彼らは、そのままで、いいらしい。

中学三年生のある日

私が中学三年生の夏に、


友達と遊びに出掛けた。

 

私は活発なタイプではなく、オタクな


タイプで、1人部屋にこもるか、

 

友達2人とべったり遊ぶ子どもだった。


あまり遊びに出ない私が、たまたま


遊びに出掛け、家に帰ると、


私の机から、教科書、本、漫画、


色々無くなっていた。


私はびっくりして、わけがわからず


周りを見渡した。


居間には父が酒を昼間から飲み、


横になっていた。


父の機嫌を損ねるのは、我が家の危機だから


みんな触らないようにする。


私の机から何もかもないと探すと、


父が、「俺が仕事してるのに、遊びに行く


お前が悪い」と不機嫌に叫んだ。


は?おかしい。


私の思いに、母は、お前が悪いと言った。


姉も、兄も。次々にお前が悪いと言った。


他にも何か言われたけど、頭が真っ白に


なっていて、覚えていない。


私は滅多に遊びに行かない。


夜帰って来たわけじゃない。


誰も私の味方をしてくれない。


外に出て、独り泣きながら、畑から、


教科書たちを土を払いながら、引き上げた。


面白いぐらいに、必死で父は埋めたんだろう


畑にそれは何十冊も埋まり、ほとんどに


まるで苗を植えたみたいに、土が


被さっていた。


教科書は手加減した雰囲気で、


漫画は破れていて、ボロボロ。


友達から借りた小説本は、穴が空いていた。


友達に買って返すお金も無い。


理由も言えなくて、結局、本は返せなかった